【11日目】何のために生きるのか

こんにちはだいサワーです^^
14連休のうちの11日目です
連休もあっという間に終盤です

目次

本日の行動

4時20分 起床 すぐランニング30分と懸垂 家に入って風呂
8:45 〜 10:00 寝不足のためスマホみつつ仮眠。。
勉強後はひたすら不用品処分

上京して21年

不用品処分をしていたら、上京した日のレシートが出てきました
日付は2004年4月3日
自分の大学入学のため、両親と3人で、父の運転する車で上京した日が思い出されます

あの日から色々なものを得て、同時に失いもしましたが、いまだにその日の記憶は失われておらず、両親には感謝しかありません

モノに意味はない

今回の不用品処分は、かなり思い切ってやっていて、このレシートもシュレッダーしようかと思ったのですが、あの日の気持ちを忘れないようにするため、とっておくことにしました

自分以外の人間にとってはだたのゴミですが、自分にとっては意味のあるものです

他にもたくさん、写真やプリクラ(死語?)などの「思い出の品」があるのですが、こういったレシートのように、自分にとって何か特別な意味が感じられるもの以外は、捨てることにしました

貰ったけど使っていないものも、次の休みになったらまた捨てるかどうか迷うと思うので、思い切り捨てます
自分があげた方の立場に立って考えると、そこまでして取っておいてほしいとは思わないだろうと思うので

今、使ってない思い出すらないモノなど、言わずもがなです

人生は思い出作り

モノも思い出も、自分が死ねば消えます
殆どのモノは、その人が死んだ瞬間から、遺された人が処分に困ることになります
思い出は自分が死ねば自分の記憶ごと消え、共有した相手に(覚えていれば)残ります、その人が死ねばそれも消えます
石碑が立つくらいの偉業を残せば半永久的に残るのかも知れませんが、それは後世の人間が勝手に決めることですし、自分の及ばない範囲の話なので、どうでもいいことだと思えます

結局、残るモノは何もなく、できることも何もないということになります(個人レベルの話です)

では、どうすればいいのか?

まあ、自分が死んだ後家族が困らない最低限の資産くらいは(自分が家族のことを心配せず死んでいけるように)遺すとして、それ以上は、遺しても意味がないので、「思い出作り」を意識して生きていくのが最良なのかも知れません

ですので、毎日、自分と家族・周囲の人間が気分よく過ごせるように時間とお金を使っていく
今、この瞬間から、そうやって生きていきたいと思いました

シンプルでいいと思いました
難しいですが

本日は以上です^^
最後までお読みいただきありがとうございますm(_ _)m

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